なぜ仕入れ値に利益を乗せるか、わかって商売をされていますか?

商売って、

どうして「仕入れ値」に

「利益」を

乗せるのでしょう?

 

ここの解釈次第で

商売に向かう姿勢の

「基本ベース」が

かなり変わってくると思います。

 

 

ただ、この解釈は、

何が正しい、何が正解とか、

そういうことはわかりません。

 

ただ、長年ずっと、

どんな仕事でも、

仕事自体を楽しみ続けている

僕の解釈をお伝えします。

 

もちろん、

10年以上経営者さんの

様々な状態や心境を

見てきたからこそ

絶対こう考えてもらったほうが

全てが好転する、と

僕は言い切れます。

 

これを根本に置いて頂けると

本当に仕事自体が、

商売自体が変わりますから、

そのつもりで聞いてください。

 

 

まず、

「利益を乗せるなんて、

商売だから当たり前なのでは?」

なんて話ではありません。

 

こう思うこと自体、

しょっぱなから

思考停止していますし、

 

そうなると、

様々なことに疑問を持たず、

他人の受け売りや

世間の情報に流されやすく

なってしまいます。

 

 

さて、たとえ話をします。

 

昔々、ある若者がいました。

 

彼は、海に近い村に行った時、

塩が豊富にあることに

気が付きました。

 

海から遠い村出身の彼は

思いました。

 

塩が採れない村では

さぞ塩の確保に困っているだろう。

 

そこに塩を運んだら

すごく喜ばれるんじゃないか?

 

故郷の母も、近所の方々も、

みんなが喜ぶ顔が

目に浮かびました。

 

彼は、事情を説明し、

塩を分けてもらいました。

 

 

海から遠い村に帰ると、

彼は塩を優しい気持ちで

みんなに分けてあげました。

 

彼は、すごく喜ばれました。

 

彼は、満足しました。

 

 

塩は消耗品です。

だんだん、各家庭から

なくなって行きました。

 

そうすると、

住民は彼に言いました。

 

「また、よろしくね。」

 

彼はまた、海が近い村に

行くことにしました。

 

前回、塩を分けてくれた人も

また快く分けてくれました。

 

そうやって、彼はまた

喜ばれることになりました。

 

 

しかし、塩は消耗品です。

住民はまた彼に頼みました。

 

それを繰り返しているうちに、

若者はだんだん

「仕方なく行く」ようになり、

 

また、塩を分けてくれていた人も

「またか?」と渋り出すことに

なり、若者のストレスは

非常に増えていきました。

 

渋られたので仕入れる数が

かなり減りました。

 

そうなると住民は

彼を責めました。

 

住民は、彼の好意に

毎回ありがたいと思うのではなく、

私にはもらえる権利がある、と、

勘違いしてしまっていました。

 

つまり、

甘やかされてしまっていたのです。

 

優しい優しい彼の好意で

始めたことが、

結果的に、彼を悪者に

してしまいました。

 

 

ひどい話だと思いますか?

 

いえ、それが人間です。

甘やかすと、こうなります。

 

誰も悪くありません。

 

強いて挙げれば、

お金を介さなかった若者が

すべてを引き起こしています。

 

(若者、踏んだり蹴ったりな

立場ですな…たとえ話とはいえ、

ごめんな、若者(^_^;))

 

 

最初から、

お金を介せば、

こうならなかったのです。

 

分けて頂くありがたみを

分けてもらう側が感じなければ

「私にはもらえる義務がある」と

大きな勘違いを起こすのです。

 

住民は、

自分で調達していないし、

塩がどうやって出来るかの

苦労や努力、手間などを

知りませんし、

 

若者の入手や運搬するにあたっての

様々な苦労や努力、手間なども

まったく知らないのです。

 

もらう側は、

「自分が見える範囲しか見えない」から

渡す受け取る、という

目の前の取引しか

見えていないのです。

 

だから、ありがたみなんて

感じることが出来ないのです。

 

 

でも、もし、

塩に値段を設定し、

お金を払ってもらう、という

ことをすればどうなるか?

 

若者は、

その塩の価値を

しっかり伝えよう、と

するしかないのです。

 

価値を伝えてもらうからこそ、

住民は、ありがたみを

感じることが出来るので、

受け取った塩を大事に大事に

思うことができるのです。

 

 

…少し長くなってしまいましたが、

わかりますでしょうか?

 

仕入れたものには

値段を付けないと、

また、仕入れ値に、

適正な利益を乗せないと、

もらう側(お客さん)は

価値を感じられないので、

甘やかされてしまうのです。

 

自分ももらえる義務がある、と

勘違いした主張を

するようになるのです。

 

これはもらう側の責任

ではありません。

 

人間はそういう性質が

あるからです。

 

 

価値を感じられないまま

甘やかされてしまうと

その人は本当に大変です。

 

価値を感じられない生活は、

モノや体験を大切にできない

傲慢な考えの日々になり、

 

満たされない気持ちで

いっぱいになる

不幸な毎日なのです。

 

 

 

ですので、

利益を乗せるのは、

 

お客さんに価値を感じてもらい、

その商品のありがたみを

感じてもらうためには

ものすごく大切なことです。

 

 

価値を感じてもらうからこそ

あなたは、

適切な利益を

手に入れていいのです。

 

でも、価値を感じさせずに

利益を乗せて販売すると、

「高い」と言われるのです。

 

また、適切な相手ではない人に

利益を乗せて販売してしまうと、

「儲けようとしやがった」と

悪者にされるのです。

 

 

利益を乗せる解釈を

ちゃんと理解せずに

 

「商売だから

利益得るのは当たり前だろ」と

短絡的に思うから

 

値段にビビり続けて

商売をしないと

いけなくなるのです。

 

 

よろしいですか?

 

利益を乗せるのは、

お客さんの幸せのためです。

 

価値を感じられないと

お客さんは買ったモノを

大事にできないのです。

 

 

もう一度いいますが、

 

価値を感じられない生活は、

モノや体験を大切にできない

傲慢な考えの日々になり、

 

満たされない気持ちで

いっぱいになる

不幸な毎日なのです。

 

 

だから、あなたの商売で

適正な利益を乗せて

販売してあげること自体が

 

深い意味で

「優しさ、思いやり」なんです。

 

 

もちろん、

買う側、お客さん側は、

そんなこと微塵も思ってません。

 

海から遠い村の住民のように

「価値がわからないまま」だから

自分中心で好き勝手なことを

考えています。

 

あ、それは仕方ないから

お客さんが悪いのでは

ありませんよ!

 

価値を感じられないと

買う側が自分中心で勝手な思考に

なるのは当然です。

 

何度も何度も言いますが、

それが人間ですから。

 

 

だから、

あなたが提供している

商品やサービスの

「価値」を見出し、

 

まずは

扱う自分がいっぱいいっぱい

そのありがたみを感じ、

 

お客さんにとってのありがたみを

いっぱいいっぱい想像してあげて、

 

適切に価値を伝えてあげたり、

価値を感じさせてあげたり、

感じ続けられる工夫をしたり、

 

そういったことを

大事に大事に商売を

して頂ければ…

 

本当に素晴らしい商売の状態に

なりますし、

お客さんもあなたの商売に関わって

どんどん幸せになっていきます。

 

 

利益を乗せることが

素晴らしいことだと

さらにしっかり

思ってみてください。

 

どう思うか、で

本当に商売は変わりますから!

 

 

 

商売する人の福の神

経営者の参謀

新井悟之